中村区の史跡散策路 笈瀬川筋散策コース
 
順路は 名古屋駅太閤通口→(1)水野社→(2)椿神明社→(3)稲穂社→(4)牧野神明社→(5)須佐之男社 →(6)厳島神社→(7)福田兼助碑→(8)熊野社→(9)金山神社→(10)円福寺→米野駅(約3.8km))
   
   
   
伊勢神宮の御神領地で、お伊勢川と名付けられた川がやがて
笈瀬川となった。そうです。 
2011年9月6日 行ってきました。秋を感じてしまいました。
まあ 笈瀬川筋散策コースは 上のリンクからの
PDFファイルの地図を印刷してそれで 散策はお勧めできません。
ほぼ 確実に迷います。もちろん 管理人は無茶苦茶迷って
しまいました。下調べ 必須です。 道
が細かく 距離も 全く正確性はないようです。
00 名古屋駅太閤通口が スタートです。
名古屋駅太閤通口
01 水野社
  県の無形文化財の八雲琴が伝承されているそうです。
  祭神は 祓戸大神(はらえどのおおかみ)
  お祓いですね。それと商売繁盛の神様とのことです。
水野社
02 椿神明社
   
わしはおいせ川のカッパ太郎だ。川岸にはお宮の森がある。何十本もの大椿が繁っているので椿の森とよんでいる。おいせ川は子どもの天国だ。大勢の子どもが泳いでいる。わしも泳ぎがうまい。それに誰にも負けない力持ちさ。一番得意は男の子に化けることだ。・・・。力自慢で男の子に化けるのが得意なカッパの話が伝わる椿神明社は伊勢神宮の外宮にみたてられた社で、豊宇気比売命(トヨウケヒメノミコト)を祀っています   
名古屋市 HPより
  椿神明社
03  稲穂社
   鍵こそついていませんでしたが 入り口閉鎖。
   ごみを投げ入れるとか 住み着いてしまうとか あるみたいです。
天保2年(1831年)、当時の牧野村住民の内より12戸がこの地に移住して新たに一集落が造られました。当社はこの里の守護神として祀られたものです。.     
 名古屋市HPより
稲穂社
04 牧野神明社

甘酒祭で有名です。昔、境内に大きな藤の木があり、花期には大勢の人が集まり田畑を荒したため、この木を伐採したところ、村中に疫病が流行した。陰陽師が占うと藤の木の祟りであり、酒を醸して神に献ずれば癒るということであった。そこでおいせ川の水で甘酒を造り、神に献じたら、たちまち疫病がなくなったといわれ、以来今日に至るまで神事として行われています。伊勢神宮の内宮に見立てられたこの社の祭神は天照大御神。  名古屋市HPより

牧野神明社
05  須佐之男社
祭神建速須佐之男命(タテハヤスサノオミコト)・火之迦具土神(ヒノカグツチカミ)。小じんまりとした社であるが人々の崇敬厚く、前の歩道に御神木が立っているのも面白い。古来より、椿神明社、牧野神明社、稲穂社、厳島神社とともに、牧野5社の1つ。.       
 名古屋市HPより
   みての通り 小さな神社です。 下調べげ必要と思います。
須佐之男社
06  厳島神社

周囲に水を巡らし、中央に社殿を奉安したこの神社は一風変わった雰囲気を漂わせています。古くより椿神明社、牧野神明社とともに牧野村三社の1つでした。

厳島神社
07  福田兼助碑

智興寺前に福田兼助の碑が建っています。名古屋西地区近代教育の祖といわれた兼助は、農家の出であったが学問を好み、徳川時代末期に村の子弟の教育に尽くし、明治になり学制が敷かれたときは推されて村校の教師になった人。この碑は門人・知友達が敬愛の念を表すため、明治34年に建てたものです。 名古屋市HPより

福田兼助碑
08  熊野社

鳥居の右に青銅の神馬が雄姿をみせる熊野社。境内はクス、ケヤキの保存樹がうっそうと繁り、静寂な雰囲気を漂わせています。祭神は伊邪那美大神(イザナミノミコト)。境内には末社の子安社もあり、安産の守護神木花之佐久夜毘売命(コノハナノサクヤヒメノミコト)を祀っています。      

名古屋市HPより
09  金山神社

鎮火・農耕の神としてあがめられている金山毘古神(カナヤマヒコカミ)を祀った神社。鍛冶業の守護神であり、昔、露橋附近で名古屋城の石垣用の石を切ったとき、石工達に信仰されたといわれます。    名古屋市HPより

金山神社
10  円福寺

天正6年(1578年)、北一色村善行寺の二世海善が米野村に隠居して一宇を創建したのに始まります。海善は織田信長の親族であったといわれます。本尊阿弥陀如来立像。名古屋市HPより

円福寺
00  近鉄米野駅
近鉄米野駅