甘酒祭で有名です。昔、境内に大きな藤の木があり、花期には大勢の人が集まり田畑を荒したため、この木を伐採したところ、村中に疫病が流行した。陰陽師が占うと藤の木の祟りであり、酒を醸して神に献ずれば癒るということであった。そこでおいせ川の水で甘酒を造り、神に献じたら、たちまち疫病がなくなったといわれ、以来今日に至るまで神事として行われています。伊勢神宮の内宮に見立てられたこの社の祭神は天照大御神。 名古屋市HPより
周囲に水を巡らし、中央に社殿を奉安したこの神社は一風変わった雰囲気を漂わせています。古くより椿神明社、牧野神明社とともに牧野村三社の1つでした。
智興寺前に福田兼助の碑が建っています。名古屋西地区近代教育の祖といわれた兼助は、農家の出であったが学問を好み、徳川時代末期に村の子弟の教育に尽くし、明治になり学制が敷かれたときは推されて村校の教師になった人。この碑は門人・知友達が敬愛の念を表すため、明治34年に建てたものです。 名古屋市HPより
鳥居の右に青銅の神馬が雄姿をみせる熊野社。境内はクス、ケヤキの保存樹がうっそうと繁り、静寂な雰囲気を漂わせています。祭神は伊邪那美大神(イザナミノミコト)。境内には末社の子安社もあり、安産の守護神木花之佐久夜毘売命(コノハナノサクヤヒメノミコト)を祀っています。
鎮火・農耕の神としてあがめられている金山毘古神(カナヤマヒコカミ)を祀った神社。鍛冶業の守護神であり、昔、露橋附近で名古屋城の石垣用の石を切ったとき、石工達に信仰されたといわれます。 名古屋市HPより
天正6年(1578年)、北一色村善行寺の二世海善が米野村に隠居して一宇を創建したのに始まります。海善は織田信長の親族であったといわれます。本尊阿弥陀如来立像。名古屋市HPより