文政4年(1821)佐屋宿の旅籠連中が建立。佐屋街道は、東海道の宮から桑名までの海路「七里の渡し船」を避け、陸路で岩塚を経て佐屋に至り、佐屋宿からは木曽川を下り桑名に至る。
祭神は塩土老翁命(しおづちのおじのみこと)。弘化年間(1844から1847)の頃、天白村の豪農山田善兵衛が陸奥国国幣中社塩竈神社から分霊を賜り、奉祀したことにはじまる。神社には、市の保存樹で樹齢百数十年という藤の老木があり、見事な薄紫の花を咲かせる。安産と子どもの守護神として参拝者が多く、桜の頃の護児祭は特に賑わう。
中切村村社で、改修前の矢田川と庄内川の間にあり、高い石組境内は、水難から免れるためのもの。付近の民家も一段高い土地に建てられていた。 名古屋市HP くすのき いちょうなど保存樹があります。
浄土宗、天文7年(1538)の創建。善空南立上人の開山。この上人は桶狭間合戦のときに今川勢の労をねぎらったという。本尊の阿弥陀如来像は、寺の境内で義元はじめ武将の首検証をして許された義元に仕えていた茶坊主林阿弥が義元の供養のために後に納めたものと伝えられる。寺宝に義元公とその家臣松井宗信の木像、合戦記があり、境内には供養塔がある。