慶長13年(1608)尾張藩の奨励で、知多の英比庄から庄九郎始め8名がこの地に新しく村を開拓し、農家の副業として吸収の豊後絞から、絞りの技法(九九利染)を考案した(有松絞の由来)。この功績をたたえ、昭和8年に有松絞商工同業組合が「有松絞開祖竹田庄九郎之碑」を建立。隣には、絞中興の祖鈴木金蔵翁の紀功之碑を移設した。
浄土宗、天文7年(1538)の創建。善空南立上人の開山。この上人は桶狭間合戦のときに今川勢の労をねぎらったという。本尊の阿弥陀如来像は、寺の境内で義元はじめ武将の首検証をして許された義元に仕えていた茶坊主林阿弥が義元の供養のために後に納めたものと伝えられる。寺宝に義元公とその家臣松井宗信の木像、合戦記があり、境内には供養塔がある。
臨済宗東福寺派。治承3年(1179)創建。 一時衰えたのを再興した無住国師を開山とします。無住和尚坐像と墨蹟が重要文化財に指定されており、本堂・庫裏・山門は登録有形文化財に指定されています。境内には言い伝えの残るヤドリギがあります。尾張万歳発祥地とされています。
祭神は菅原道真。江戸時代の中期創建。神廟は当初祇園時の境内にあったが、寛政10年(1798)に現在地に移り、文化7年(1810)に神殿を建立し、文章嶺と称するようになった。境内には筆塚などがある。