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有松・鳴海絞会館
有松神社
有松山車会館

有松には東町の「布袋車」中町の「唐子車」西町の「神功皇后車」3台の山車(昭和41年市指定文化財)がある。いずれも精巧なカラクリ人形を乗せた豪華な山車で、10月の祭礼には町内を引き廻され、幻想的な姿を競い合う。館内では3台のうち1台を交互に展示している。

名古屋市HPより
愛宕神社(あたごじんじゃ)
荒子観音寺

浄海山円龍院観音寺、天台宗。本尊は聖観世音菩薩。天平元年(729年)泰澄大師の芦創といわれ、当初は一山十二坊を数えたという一大霊場であったが、その後衰退した。しかし、永禄年間(1558年〜1570年)智恩院全運が再興し、天正4年(1576年)加賀百万石の藩祖である荒子城主前田利家が修造した。その後幾度か改修され、江戸時代から尾張四観音の一つとして栄えている。現在でも、節分には大勢の老若男女でにぎわっている。境内には、建立年は不詳だが、天文5 年(1536年)に再建された多宝塔がある。これは、市内最古の木造建築物で、室町時代の建築様式をよく表しており、国の重要文化財に指定されている。また、同寺には円空上人作のナタ彫り仏像が1200体余り残されており、毎月第2土曜日午後1時から4時まで拝観できる。

名古屋市HPより
広いし 古いし大きいです。そして 綺麗だと思います。 なた彫りの仏像は見てみたいものです。多少は 入り口付近にありましたが。弁財天が敷地内に 神明社がすぐ近くにあります。
円福寺

天正6年(1578年)、北一色村善行寺の二世海善が米野村に隠居して一宇を創建したのに始まります。海善は織田信長の親族であったといわれます。本尊阿弥陀如来立像。名古屋市HPより

熱田神宮
あゆちの水(伝承地)

尾張の名水の一つで、万葉集に詠まれた「小治田の年魚道の水」はここであるという説がある。直径1m、深さ3mほどの井戸で日照りが続いても水が枯れなかったと言われ、多くの人々が利用していた。戦後は荒れ果てたままになっていたが、昭和52年に地元の有志の人たちの協力により現在の形になった。

名古屋市HPより
粗大ゴミが 不法投棄されています。自然の多い山奥に廃棄も困りますが 史跡に粗大ゴミが捨ててあるのは 違和感が大きいです。私は しばらく なんか史跡に関係のある模型かと思っていました。
雨宮神社(あめみやじんじゃ)

 創建年は不詳だが、文政2年(1819年)に野田から現在地へ遷宮された。祭神は、明神高ロウ(雨かんむりに龍)神・志那津比古神・天照皇大神である。神徳は雨を主とし、水の大神として知られている。別宮に、風神を祭り雨宮・風宮という。秋の大祭には、餅投げ行事が行われている。

厳島神社

周囲に水を巡らし、中央に社殿を奉安したこの神社は一風変わった雰囲気を漂わせています。古くより椿神明社、牧野神明社とともに牧野村三社の1つでした。

稲穂社
上野天満宮(うえのてんまんぐう)
岡邸

江戸時代末期の建築で、主屋は木造2階建、切妻造桟瓦葺で正面に土庇がつき、2階は虫籠窓。特に台所の釜場の壁が柱を塗りこめて波型に仕立てているのは現存唯一の意匠である。絞商の町屋の典型の中でも古いものの一つで、今も幕末期当時の間取りをほぼそのまま残している。

名古屋市HPより
桶狭間古戦場公園
  

戦国時代に駿河、遠江、三河の三国に強大な勢力をもつ今川義元が天下統一をめざして永禄3年(1560)5月19日に京都に向って進撃するところを、織田信長が桶狭間にいる今川の本陣を奇襲し義元を討死させた戦城跡である。この地は土地区画整理事業に伴い史跡を移設し、昭和63年桶狭間古戦場公園とし整備された。桶狭間古戦場の標石、今川義元公馬繋ぎの杜松の塚、水汲みの泉などがある。

名古屋市HPより
御替地(おかえち)神明社  南区
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