天白区の史跡散策路 天道・塩釜と坂道コース
 
順路は 地下鉄八事駅やじるし→八事旧道→浄久寺→五社宮→高照寺→佛地院→大学院→八事神社→塩竈神社→御統監碑・御野立所碑(御幸山公園)→御幸山(桜並木)→地下鉄 塩釜口 (約0.5km)
   
   
   
2011年9月18日行ってきました。 まあ 坂道コースとあるように 一部 すごい坂道があります。もう一度 一部 いく必要がありまうので いつかきっと です。 
 
00 地下鉄八事駅
この辺りが この周辺の頂上付近ですね。八事駅へは どういっても坂道です。
ちょっと 人がいて修正しています。ペンタブ使ってとも おもいましたが やめました。
八つの坂に愛称をつけてらっしゃるみたいです。愛称があっても 自転車では
どの坂も きついんですけど
01 八事旧道
ちょっと お寺があった以外はあまり 興味ありません。まあ 浄久寺に同じ道で上り下りよりいいとは思いますが
02 浄久寺( じょうきゅうじ)
 永禄11年(1568)清須に創設された曹洞宗の寺院である。慶長15年(1610)清須越えで
名古屋の南寺町(現在の中区門前町)に移り、大正12年(1923)今の地に移設された。
 昭和25年5月の空襲で、寺の大半を失ったが、消失を免れた山門は、
清須越えと伝えられている。
 本尊は、木造大通智勝仏坐像で(だいつうちしょうぶつざぞう)で、
胎内仏を納めた千手観音菩薩立像(せんじゅかんのんぼさつりゅうぞう)も安置されている。
     名古屋市教育委員会 看板
 浄久寺
五社宮御由緒
 元、尾張国丹羽郡寄木村(現在、江南市大字与木字東郷中)に天道宮
(現在、稲木神社)と称して鎮座し、同村の天道山高照禅寺が祭祀を執り
行ない、正保3年(1735年)にから享保20年(1735年)にかけ
ては五度に亘り社殿の改築を行い、天下泰平国家豊饒守護神として 崇敬
され、故あって寛保元年(1741年)5月28日に高照禅寺自貞尼
によって現在地に遷座した。
 明治の初め頃より五社宮と称して今日に至っている。
 社殿老朽化の為氏子中の浄財により改築に着工し、平成3年竣工した。
 
       碑より
 氏子の方達が 掃除をしてらしたみたいで 階段をあがるのを止めました。照れくさいですので また 神社は 一つには 村の神様ですので
04 高照寺

臨済宗。元は、延喜式神名帳に記載のある丹羽郡稲木荘寄木村の稲木神社(稲置天神)で、享保9年(1724)天道山高照寺と改め、寛保元年(1741)愛智郡八事邑の現在地に遷座。本堂は天道宮ともいわれ、御本尊は天道大日如来も祀っている。往時の寺域は広大で、五社宮はもちろん、八事の八勝館あたりまで境内であったといわれている。

名古屋市HPより
05 佛地院(ぶっちいん?)
前身は明徳4年(1393)に開創された末寺十数ヶ寺をもつ真言宗の一本山であった。数度の火災のため荒廃したが、寛永元年(1624)二世物道和尚が復興改宗され、陶金山佛地院と命名。十一世鶴峰和尚の代の大正7年現在地に移転し、音聞山佛地院と称するようになった。ご本尊は釈迦牟尼仏を祀っている。大正10年発刊の「東山名勝案内」によれば、「音聞山(現在の御幸山)の西南麓にあり、三方に碧地を控え、最も景勝を占める。」とある。
名古屋市HPより
音聞山の上にあります。相撲の土俵があり 部落で相撲大会とかありそうです。相撲自体神道と大きく関わっているようで 横綱は神様?とか 聞いた記憶もあります。
06 大学院
真言宗。創建不詳。前身は鎌倉期に開創された真言密教の古刹。大学院は文字どおり徹頭徹尾学問修業の寺であり、祈願の寺である。京都の醍醐寺末で、中世の頃八事に塔頭末寺数々寺をもつ大聖寺という古刹があり、現在の元八事の地に修行僧の教育にあたる寺子屋があったが、これが草創期の大学院の姿である。寛永18年(1641)備中出身の僧善能法印がこの地に草堂を結び、本尊青面金剛(庚申さま)を奉安し、真言密教を広めた。「尾張徇行記」に、庚申堂一宇あり、山伏これを監理するとあるのは大学院のことである」と記載されている。
名古屋市HPより
07 八事神社
祭神は応神天皇を始め四柱を祀る。明治43年に八幡社(現境内地)、下八事の一之御前社、八幡山の高峯神社を合祀し、名称を八事神社と改めた。
名古屋市HPより
      八事神社御由緒
御祭神
  本殿 応神天皇(八幡社)  大伴建日命(壱之御前社)  高峯大明神(高峯神社)
  配祭 武速須佐之男命
末社 山神社(大山?命)
    富士社(木花咲耶姫)
    白山社(菊理姫神)

創建は詳らかではないが、室町時代には既に村民の崇拝が篤かったことが記録から
明らかである。
明治43年、現地の八幡社に壱之御前社 高峯神社を合祀、社名を八幡神社と改称
さらに、山神社、富士社 白山社を境内に移し祀った。
大正13年、祝詞殿を建設。昭和10年に愛知縣招魂社(現愛知県護国神社)の拝殿
を移築した。
クスノキ アベマツが保存樹。塩竃神社が安産での参拝者が多いみたいで 間違って入る人が多そうです。クスノキ アベマツ。。。の保存樹があります。
08 塩竈神社

祭神は塩土老翁命(しおづちのおじのみこと)。弘化年間(1844から1847)の頃、天白村の豪農山田善兵衛が陸奥国国幣中社塩竈神社から分霊を賜り、奉祀したことにはじまる。神社には、市の保存樹で樹齢百数十年という藤の老木があり、見事な薄紫の花を咲かせる。安産と子どもの守護神として参拝者が多く、桜の頃の護児祭は特に賑わう。

名古屋市HPより
さすがにここの坂はきついです。短い距離で急激に坂を上ります。自転車でやっとです。
参拝者は多いようです。おなかの大きい人とかが多いようです。結構 広い敷地があるようで
09 御統監碑・御野立所碑(御幸山公園)
公園内に二つの石碑がある。明治23年4月2日陸軍大演習が行われたとき、明治天皇がここで諸軍を統監、さらに大正2年11月13日陸軍特別大演習のとき、大正天皇がこの地を御野立所として再び統監された。これを記念して、大正4年村民によって建てられたのがこの碑である。
名古屋市HPより
10 御幸山

地下鉄塩釜口駅の南西、塩竈神社を抱き込むような形で御幸山がある。春の桜、秋の紅葉の美しさが人々の心をとらえる。山からの夜景は、宝石をちりばめたように美しい。

00 地下鉄塩釜口駅