西区の史跡散策路 名城いぬいコース
 
順路は 浅間町駅→(1)冨士浅間神社→(2)堀川堀留跡の碑→(3)辰ノ口水道大樋→(4)武島天神社→(5)上宿山神社→(6)興西寺→(7)蜂谷宗意宅跡→(8)宗像神社→(9)浄心寺→(10)しゃんしゃん馬の碑→(11)白山社→(12)丹羽長秀邸址→(13)旧志水家玄関車寄せ→(14)観音寺→市バス停葭原町 (約5.0km)
   
   
   

西区の史跡散策路 名城いぬいコースです。

2011年08月6日行きました。 少し 画像が不足しています。と いうか 行けなかった。

まあ 今 現在住んでいらっしゃるようですので 撤去されているかも しれませんが

振い町並みで 小路がたくさんあります。区画整理もできなかったのでは? と 思います。

車の入れない道が結構 多いですし

0 スタートの浅間町駅です。
 幹線道路は ハイスピードで 車が走っています。
浅間町駅
1冨士浅間神社です。
 この辺りは 一般に見られるように お稲荷様が 祭られているようです。
 祭神は 木花開耶媛命(このはなのさくやひめのみこと)
冨士浅間神社
2 堀川堀留跡の碑
堀川は慶長十五年(一六一〇年)城下と熱田の浜を結ぶ輸送路
として福島正則によって開削されたと伝 えられている。当時は名古屋
城近くのこの地で堀留になっていたが、天明四年(一七八四年)に行われ
た 大幸川の付け替え明治十年(一八七七年)の黒川治愿による
黒川の開削、さらに昭和初期の改修を経て現在の姿になった。
朝日橋は天明五年(一七八五年)に初めて架橋され昭和
初期まで橋の下には苔むした石積みの落差工があった。
その水音から「ザーザー橋」と呼ばれたり、お堀の水の落口近く
にあったことから「辰の口橋」、あるいは橋の上を歩いた時の音から「ドン
ドン橋」とも呼ばれ、人々に親しまれていた。
かつて、巾下御門に通じるこの地には多くの船が
行きかい、今の州崎橋付近に至る渡船が始ま
る萬延元年(一八六〇年)頃には、名古屋の交通
の中心でもあった。また、満ちてくる潮にのって、鰹や
鰯がこの付近までさかのぼってきたと伝えら
れている。        
昭和五十九年九月 
       名古屋市
堀川堀留跡の碑
3 辰ノ口水道大樋(たつのくちすいどうおおひ)
  名古屋城のお堀です。鯉もいました。
  辰ノ口水道大樋
南蛮たたきでできていた。
東に口にの立切(水止め)があり
これは、外堀の水位を一定に保つ
ためであった、又西の端切石の
銚子口があり常に滝となり大幸川
(現在の 堀川)に落ちていた。
辰ノ口水道大樋
4 武島天神社
 この辺りから道が込み入ってきます。
武島天神社
5 上宿山神社
  山神社になっていますが 多分大丈夫です。
山神社
6 興西寺
 最近 建て替えされたみたいです。時代の流れですので 
興西寺
7 蜂谷宗意宅跡
  人の家ですので ちょっとだけです。  
8 宗像神社 
宗像神社
9 浄心寺
浄心寺
10 しゃんしゃん馬の碑
しゃんしゃん馬の碑
11 白山社
白山社
12 丹羽 長秀(にわ ながひで)邸址
丹羽 長秀邸址
13 旧志水家玄関車寄せ
       見つけられませんでした。
00 市バス停葭原町 
  バスに乗って帰りましょう。 ですね。